もしも経営者が失業を経験したらどうなるか

僕は2度の失業を経験している。

 

自社の買収会社への引継ぎを終えた後と次に務めた会社をクビになった時だ。二度目は突然だったので結構こたえた。詳しくは省くが当日呼び出されて能力がないと言われ即解雇だ(アメリカの映画みたい)。翌日荷物をまとめて社員寮を引き上げた。

すぐハローワークへ行って失業の手続きをした。また転職活動の開始だ。

 

転職活動は今の生活を継続するためのものだった。私学に通っている2人の子供の学費、必死に守った家のローン、犬の餌代。守らないといけないものが多すぎる。

 

普通自動車免許しかもっていない48歳の就職活動だ。失業給付金が切れる6か月以内に新しい職を探さないといけない。6ヵ月しか時間がない。

あらゆる転職サイトに登録した。希望は「経営者候補」「経営管理」「幹部候補」、年収は今までの状態がキープできるくらい。今から思えばかなりの強気な希望だが、経営者だったプライドだ。

 

サラリーマンを2年しかしておらず、中小企業経営者になったので実務能力は評価されない。ほとんどは書類選考で落とされた。数社は面接に進むことができた。年の功か不思議と緊張はしなかったが、頼みの管理能力については経営の失敗体験が足を引っ張り上手く表現できない。他人のことは解るのに自分のことは表現できない。ただ「できます」としか言えない。

 

チョコレートメーカー、麺メーカー、ファンド傘下の食品メーカー、電車シートメーカー、Ⅿ&Aコンサルタント会社など

 

あせるあせる、ヤバいヤバい。返ってくるのは「残念ながら・・・」で始まるメールばかり。失業給付金が切れる、生活ができなくなる。

でも、なぜか何とかなると思えた。気持ちはあせっているのに不思議な感覚だ。

自分では神経質で後ろ向きな性格だと思うが、人から見ると能天気で前向きらしい。

 

給付金の期限が切れようとしているとき、全く期待せず、ただ幹部候補、経営企画、大阪勤務というだけで応募していた未経験業界の会社に内定をもらった。滑り込みセーフ。

この会社には1年6か月お世話になった。本当に感謝している。生活の継続ができただけでなく、原価管理実務を勉強させてもらった。大学の講座にも参加させてもらった。評価されていたのかはわからないけれども実務と異業種の会社を知ることができた。

 

お声がけいただきお世話になっている今の会社では製品開発、経営管理、&Aなど幅広く担当している。経験と前職の勉強が役立っている。もちろん兼業OKだ。これから先、何を本業とするかは決めていない。どう転ぶかもわからない。本気度が足りない?そんな声はどうでもいい。自分のできることをするだけだ。

 

経験を通して変わったこと。お金にせこくなった(無駄使いをしなくなった)、エクセルの技能が上がった、人にやさしくなった、後ろ向きが少しマシになった、より冷静に人を見られるようになった。

変わらないこと。シャイなところ。

 

解ったこと。うれしいこと、楽しいこと、嫌なこと、辛いこと、悲しいこと、予期せぬことなど起こったことはすべて正しい。全肯定の哲学だ。

 

社長、会社整理、失業、転職、ヘッドハンティング・・・これからまだまだ何が起こるか解らないけれども経験を通して自分自身が変わっていくこと、理解が深まっていくことを楽しみたいと思う。

 

 

つらいときに大阪に出張で来るたびに夕食に誘ってくれた友人、セミナーや講習で教えていただいた先生、アルバイトで雇ってくれた経営者仲間、すべての友人、もちろん家族にも感謝している。アドバイスが責め立てられているように聞こえていたときもあったけれども、その通りだったこと、違っていたこと含めて、ありがとう。

前向きであり続けることがつらいあなたへ

常に前向きでないと上手くいかないとよく言うけれど、後ろ向きな時だってある。他人と比べて自分はできないと自分を卑下したり、逆にあの人に比べたらましだと自分を慰めることもある。

 

あなたはそんなことはないだろうか?

わたしは少なくともあてはまる。

 

誰もが失敗したり、上手くいかないときは後ろ向きになってしまうものだ。

 

そんなときに前向きでなければと自分に前向きを強要していないか。

前向きに在り続けようとして逆に疲れていないか。

負のエネルギーをため込んでいるのに無理に正のエネルギーを入れようとしていないか。

 

たまには悲観的な自分を許容してやろう。

 

後ろ向きは休憩だ。でもそこにはずっと居ない。休憩してまた前を向けばいい。

 

前向きであり続けようすることで無理が生ずる。許容してやるのだ。負のエネルギーの場所をあけて正のエネルギーを入れてやる。また疲れがたまってくれば休憩すればいい。

 

もちろんペースも違うし、向かう方向も違う。休憩する時間だって違う。

 

自然でいること。自分に優しくしてやること。

 

そう考えると前向きでいることも苦痛でなくなるはずだ。

 

まだまだ先は長い。次のステージが待っている。

やってしまった後のあなたへ

よくセミナーや講座を受けると、あなたが本当に大切にしたい客だけを相手にする。あなたの情熱は必ず人に伝わる。価格は下げない。

 

どれも商売をしていく中で有るべき姿で正しいことだ。

 

しかし、これを聞いてきれいごとに聞こえるのはなぜだろう

 

きれいごとに聞こえているあなたは要注意だ。

 

設備投資をして大きな借金をして返すのに窮している。売上が上がった時に人を雇い、今余剰人員を抱え人件費に苦しんでいる。

 

持っていることの負の作用だ。そう、やってしまった後だからである

 

商売は本来楽しんでするものだ。なのに「やってしまった」あなたは過去に囚われて現在(いま)を過去の維持に費やし、楽しむどころではなくなってしまう

 

そして商売に対する「熱」を失ってしまう

 

最悪借金して給料を渡す、元々の借金の返済に回す。

こんなことをしていないだろうか。

 

もう手放す時期に来ているかもしれない。もしかしたら既に手放そうとしても手放せないようになっているかもしれない。

 

もちろん手放さなくても上手くいくという光が見えているのであれば問題はないし、いいタイミングで手放すことができれば過去に囚われている現在(いま)は過去のことになる

 

手放すには現実が前に立ちはだかる。

光はドアを開けなければ見えない。現実が未来へのドアを開けることを躊躇させる

 

従業員の生活はどうなるのか。

子供が小さいので養わなければならない。

住む家を失ってしまう。

いままでは何だったんだ。

 

胃も痛くなるだろう、頭も痛くなる。何も耳に入らなくなる。

 

手放すことが怖い。

よくわかる。恐怖感が襲う。

 

もちろんわたしもそうだった。

 

よく考えて何をしても「無理」とわかれば勇気をもって手放すのだ。無理とわかっていても、未来のドアの前で立ち往生しているのが一番いけない

 

答えはあなたの中にある。

 

あなたにとってできるだけ早く手放す。

それがあなた自身を助ける。

 

手放した後、どうなるか。

結論としては程度の差はあれどもなんとかなる。石にかじりついてもやる。

選択肢はいくらでもある。未来に絶望せず光を見つけるのだ

 

思い切って未来へのドアをノックしてみる。そうすると先に行った人たちがノックし返してくれる。そして思い切ってあけ放つと遠くに光が見えるはずだ。

 

あきらめないと囚われているのとは違う。

過去に引きずられず、未来を見て現在を生きよう。

コロナの時をどう生きるか

社会に所属している限り誰もが必ず何かに頼っている。小さくは両親、夫、妻、友人。大きくは国家、行政、会社などである。あなたはその社会の中であなたが選択することができることはいくつあるだろうか。何かを決断する時には選択肢があったほうが良いことは誰もが解っている。一つのことに依存することは危険が伴う。

 

そのことはいまコロナによって証明されている。

 

しかしながら選択肢があることは良いことと解っていたにもかかわらず、いままでは「選択と集中」が良いことといわれ一つのことにフォーカスすることが良いこととされていた。いま困窮しているところはまさにそんなところだ。同じ業種であっても持っているチャネルによって業績が良いところ、悪いところと分かれている。すべては一つに頼りきってしまっていたことがいけない。

 

また固定費が大きすぎる、一つの銀行から多額の借入がある、といったところも同様に苦しんでいる。持っていることに対する自惚れや他人への依存の偏重だ。

 

流れが完全に変わった。

 

これから何が起こるかなんて誰にも解らない、これからは一つの得意先や商品、サービスに依存することはとても危険だ。一つのことに捕らわれていれば身動きすることができない。急にそんなことを言われても無理と思われるだろうが、でもそんな中でも選択肢は必ずあるはずだ。今までとは視点をずらして、小さく広く持つこと、何かがだめだったらすぐに移れるようにすること、お金が無いなら無くてもよいようにすることを考えて見ればよい。

 

わたしも会社を失ったときやわずか2か月で会社をクビになったときがまさにそうだった。精神的にはものすごく落ち込み、最悪破産することも覚悟したけれども、職を失ったらこうするという事(というよりこう考えるという事)をあらかじめ決めていたので、すぐ行動に移すことができた。その証拠に今もこうして生きている。

 

コロナ禍の現在に必要なことは悲観的に物事をみる、最悪を想定する。もしそうなったらこうするというラインを決めておく。そうすれば最悪のことが起こったとしても対処できるはずだ。精神的には落ち込むけれども次に進むことができる。もしやってしまった後なら思い切って手放せばいい。素早い経営者はもう手放して次の機会をうかがっている。なぜならもう今いるところにはお金の生る木は存在しないのだから。

 

そして最後にあなたに伝えたい一番大切なことは「常に誠実でいること」。

 

誠実に生きていれば必ず誰かが助けてくれる(人とは限らない)はずだ。これは依存ではなく、あなたの「在り方」がそうさせるのだ。たとえ困窮していても、にっちもさっちもいかなくても誠実さを失わなければ必ず光は見えてくる。

 

 

わたしはそんなあなたを応援します。

会社を継ぐときによくあること

家業の後を継ぐきっかけも人それぞれの事情があると思います。

自ら望んで継ぐ人、人から頼まれて継ぐ人、他にすることがなく継ぐ人 など人によって違うのではないでしょうか。

私の場合は、幼稚園のころから社長になることが夢でした。

サラリーマンをしているときから、いずれは実家に戻り会社を継ごうと考えていましたので、実家に戻って来いと父親に言われ喜んで戻りました。

しかし、僕はただ単に社長になりたいということだけを考えていましたので、深くも考えず、何も調べず、事業に対するビジョンもなく、社長になれるという一心で実家に帰ってきました。

大企業を辞め、実家の会社に勤めだしてしばらく、現実に驚きました。売上は父親から聞いていた額からは程遠く(聞いていたのは過去最高の売上を言っていたようです)、文句ばかり言う古参社員、いいかげんな生産方法など、聞いていたことが全く違うことに気付きました。意気揚々だった僕はこんなメンバーでやっていくのかとうんざりしたことが思い出されます。

結局、会社を整理するまで悪戦苦闘しましたが、このことは根本的には解決できませんでした。その理由は、色々ありますが、そのことは今後の機会に述べたいと思います。

あなたがサラリーマンを辞め継いだ時には、家業の実態が傍から見たり聞いていたこととのギャップを覚悟しなければなりません。

今までの分業化され、システム化された会社とは違う世界が待っています。

しかしながら継ぐという決断は、事情が何であれあなたが決めたことです。

そのギャップを埋め、父親の会社を自分の会社に変えていく、自分の思うような会社に生まれ変わらす、社長になったあなたはその機会を得ることが出来たのです。あなたなら必ず上手くすることが出来ます。